2022年


ーーーー4/5−−−−  卒業ですか? 


 
番組改編の時期である。仕事をしながらラジオを聞いていると、何度となくそのような情報が流れる。それに関して、いつの頃からか、ちょっと気になる言い回しを耳にするようになった。番組の担当を離れるアナウンサーやら司会者が、「今月いっぱいで卒業することになりました」などと言うのである。卒業はちょっと違うのではないかと、私は思う。

 卒業というのは、学業などの過程を履修して巣立つことを意味する言葉である。ラジオ番組の担当は、業務であって学業でも修行でもない。だから卒業と言うのは間違っている、と主張すれば、そんな堅苦しい事を言わなくてもと、逆に諭されそうである。巣立つという意味をなぞらえて、しかも前向きに送り出してやるというニュアンスも加えて、去る者に花を持たせる、気の利いた表現だと弁護する向きもあるだろう。たしかに「引退することになりました」とか「担当を止めることになりました」などと言えば、少々ギスギスした感じがするかも知れない。

 しかし卒業というものには、去る側と送る側がある。去る側は、やるべき事を終え、新たな天地に進んで行くという、意気揚々としたプラスのイメージがある。一方送る側には、自分たちはまだそのような段階に達していないという思いがあり、先輩に対する憧れと同時に一抹の寂しさや喪失感を覚えるものである。そこには、巣立っていく者と、残される者の間の、心理的なギャップが存在する。

 ラジオ番組というのは、発信側と受け手側の交流が濃いと言われる。リスナーの投書やリクエストに依存する様はテレビの比では無い。リスナーは、番組を担当するアナウンサーや司会者と、気持ちを共有しているのである。その担当者が番組から消えてしまうのは、寂しくもあり、また失望もする。そんな際に「卒業」などとバラ色がかったイメージの表現をするのは、いささか配慮に欠けるのではないか。思いを寄せるリスナーなら、花を持たせて優しく送り出してやれば良いではないか、という意見もあるかも知れないが、そういう事は番組サイドから口に出すものではない。

 言葉だけで伝えるラジオ番組は、言葉を適切に使う事が命であると思う。浮ついた表現を控え、ただ淡々と「このたび番組から離れることになりました」のように言えば、リスナーはむしろしみじみとした気持ちで、別れの情感に浸れるのではあるまいか。




ーーー4/12−−− 詐欺電話


 
仕事をしているところへカミさんが突然現れて「中部電力の利用明細は、今まで書類で送って来たんだけど、それが廃止になって、ネットで見るようになるらしいのよ。引き続き紙で受け取れるように希望する方には、訪問をして手続きをしますと、ある業者から電話が掛かっているんだけど、よく分からないから代わりに出てくれる?」とややこしい事を早口で言った。さらに「そういうことなら、書類を送って下さいと言ったら、面倒な手続きなので、直接お会いして説明しますと言うのよ」。私は即座に怪しい話だと感じたが、一応電話に出た。

 相手は得体の知れない社名を名乗った後、上に述べたようなことを話し始めた。私は「ネットで見れば良いから、その手続きは必要ありません」と言った。これは咄嗟に思い付いた嘘である。経理をするカミさんは、常々紙の領収書や利用明細でなければ困ると言っている。相手は「無料でお手続きできるのですが」などと食い下がったが、お断りしますと伝えて電話を切った。

 カミさんは釈然としない様子であったが、私は「詐欺の類だよ」と言って仕事に戻った。暫くして彼女はまたやってきて、中部電力から届いた最新の利用明細書を見ながら、「紙の明細書が廃止されるというのは本当よ。ここに書いてある。」と言った。私が間違った判断をしたと言わんばかりの言いっぷりである。私は「希望すれば従来通りにしてくれるんじゃないの? 中電に電話してみたら?」と言った。すると彼女は「あらっ、この件に関する窓口の電話番号が書いてあるわ」と言った。

 いったん引き下がり、その番号に電話をかけたようである。また現れて、「中電に話したら、紙の明細書をご希望なら従来通りお送りしますので、このお電話で承りました、とのことだったわ」と言い、さらに「さっきこんな電話があったのですが、関係ありますかと聞いたら、そのような電話が最近多いとの連絡が寄せられていますが、弊社とは一切関わりがありませんから無視して下さい、だって」と言った。

 電力会社がらみの詐欺まがいの電話は、以前から何度もあった。手口は色々だが、つまるところ電子ブレーカーの売り込みがほとんどだと思われる。思われると書いたのは、相手はなかなか尻尾を出さないので、最後まで聞かずに電話を切るからである。今回は一寸変わったアプローチだったが、たぶん押し掛けてきて、話をそちらの方向に誘導し、売り込もうという作戦だと想像する。こういう詐欺まがいがいまだに暗躍しているのは、ひっかかる人が多いということか。その背景には、動力の料金システムに不満を感じている人が多い、という事があるかも知れない。

  



ーーー4/19−−− おてんぞうさん


 
地域の仲間と宴会をしている最中に、私はかねてより抱いていた質問を一同に投げかけた。「おてんぞうさん」という言葉の由来は何なのかと。

 「おてんぞうさん」とは、ある職種である。ここ十年ほどは目にする機会も無くなったが、当地へ越してきたころは何回かお目にかかった。仕事の内容は、出張料理人兼コーディネーターと言えば良いか。葬式の後に行われる宴会(当地では棚上げと呼ぶ)の調理を取り仕切る役である。

 現在では、葬式はセレモニーホールなどの施設で行なうことが一般的になり、棚上げも施設内の会場で実施するという形が定着している。しかし、我が家がこの地に越してきた当時、今から30年ほど前には、葬式は喪主の自宅で行われた。これはなかなか大変な行事であった。

 地域には、葬式の際に手伝いをする互助組織が、数件単位の世帯で構成されていて、お庚申仲間と呼ばれている。誰かが亡くなると、お庚申仲間に触れが回り、各世帯から男女一名ずつ参集する。そして、葬式の前後三日間ほどを、喪主のお宅に詰めることになる。男性たちの仕事jは、葬式の準備や運営、後片付けだが、それらは大した作業ヴォリュームではない。一方、女性たちの仕事は、集まったお庚申仲間に食事を提供することと、棚上げの料理を作ること。葬式の規模にもよるが、棚上げは数十名の客をもてなすこともある。料理に慣れた主婦たちと言えども、自分たちだけでやりこなせる量では無い。そこで「おてんぞうさん」の登場となる。

 普段は別の仕事をしている、臨時の料理人である。お声が掛かると、必要な装備一式を軽トラに積んでやって来る。料理を作ると言っても、彼一人で何十人分もの料理を作るわけでは無い。肝心要の料理は自分で作るが、その他の部分は、お庚申仲間の主婦たちを使って作らせる。メニューを決め、材料を仕入れ、調理の仕方を指導しながら、限られた時間内に大量の料理を作り上げる。自分がもっぱらやるのは、天麩羅を揚げることだったようである。それで「おてんぞうさん」と呼ばれていたのではないかと言うのが、冒頭の質問に対する答えだった。

 大量の料理を作るには、装備も技術も特別な物が必要である。それと同時に、調理に携わるメンバーを上手く使わなくてはならない。上下関係があるプロの料理人集団なら、寄せ集め部隊でも統率が取れようが、主婦の集団では難しい面がある。主婦はとかく自分のやり方に固執し、意見が食い違うとワンチームになり難い。それをまとめるのも「おてんぞうさん」の腕なのである。女性陣を相手に、時には褒め、時には叱咤し、時にはジョークを飛ばして和ませる。そのようにして仕事がスムーズに運ぶように調整する。「おてんぞうさん」は臨時のチームリーダでもある。

 田舎では、本業の他にこういう特技を持っている人が、けっこう居る。元は自給自足の地域社会だったから、できる事は何でも自分たちでやるという意識が強い。器用な人は、何かのきっかけで手に染めた事に習熟し、本業の他に収入源を持っているのである。

 ところで「おてんぞうさん」とはちょっと違うが、やはり出張料理を手掛ける人物と知り合ったことがある。地域の夏祭りの出店で焼きそばを作って頂いた。本業は植木職人だが、焼きそば作りが得意で、大人数に供すための自作の設備を持参して現れた。息子さんをアシスタントにして調理をしたが、指導は厳しい口調で、緊張感が漂っていた。空いた時間に話を聞いたところ、以前は各種イベントから声が掛かったとのこと。Mウエーブを会場にしたイベントでは、想定人数2000人規模で豚汁を作ったこともあったが、あれが一番大きかったと懐かしそうに話した。そういう時は、気心が知れた仲間を集めて事に当たるとのこと。そのような仕事師のネットワークが、存在するのである。

(後日談) この記事をアップしてしばらくしたら、ある方から連絡があり、「おてんぞうさん」の語源は「典座」ではないかと教えてくれた。典座(てんぞ)とは、禅宗の寺で食事を作る役目の僧とのこと。           





ーーー4/26−−− バンフのリカーストアー


 何でこのような事を突然思い出すのか分からないが、思い出せば人に語りたくなるような事が一つある。

 新婚旅行でカナダのバンフへ行ったことは以前にも書いた(2017年10月の記事)。思い出したのは、そのバンフでの出来事。

 バンフはカナディアンロッキーの観光拠点として有名な町である。山々に囲まれた、人口数千人程度の小さな町で、いかにも観光地らしく、綺麗に整っていた。ホテルに入った後、街中を散策した。散策と言うと聞こえが良いが、実は酒を買いに出たのである。酒を買ってホテルへ持ち帰り、部屋でチビチビ飲ろうという腹であった。

 酒を売っている店などすぐに見付かると予想したが、さんざん歩き回っても見付からない。自販機も無い。ひょっとしてこの町では酒が売られてないのかと、不安になった。そこで通りがかりの町の人に聞いてみた。すると「ああ酒屋ね、ありますよ」と言って、親切に教えてくれた。ただ、ずいぶん長ったらしい道順を聞かされた。もっと近い場所にないのだろうか。

 教えられた方向へ進んで、一発で辿り着けたかどうかは覚えていない。途中で分からなくなり、また誰かに聞いたかも知れない。それほど遠い場所だったが、ともかく目的地に到着した。看板にリカーストアーと書いてある。なるほど酒屋だが、とても大きな建物だ。日本のスーパーくらいの規模である。中に入ると、多種多様な酒が、大量に並んでいた。選り取り見取りである。酒好きにはたまらないお店だ。施設は立派だったが、ちょっと気になったのは店員のユニホーム。まるで警察官のような服装だった。レジに向かう時はいささか緊張したが、問題無く購入することが出来た。

 後でツアーガイドに聞いたところ、あの店は公営の施設で、バンフで唯一酒を売っている場所とのこと。飲酒による害を減らすために、簡単には酒が買えないようにしているらしい。なるほど、ちょっと飲みたくなっても、遠くまで買いに行くのは面倒だから諦めるということはあるだろう。また観光地だから、酒を飲んでハメを外した輩が風紀を乱す恐れもある。酒が町中の方々で手に入るなら、そういうトラブルが増えるだろう。

 そのような目的で規制を設けているのだが、酒を禁止しているわけではない。あの店へ行けば、好きな酒を堂々と買うことが出来る。いずれにせよ、酒を正しく楽しむ環境というようなものが感じられた。そんなことを思いながら、ホテルの部屋でグラスを傾けたのであった。